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腐敗しやすい魚を保存する技術として、塩辛や馴鮮が生まれる。 ベトナムのニヨクマーム、タイのナムプラー 、日本のショッツル、これらはみな魚から作る魚醤という調味液だ。
魚醤は、ある特別な時期に大量に獲れる稚魚からつくる。 東南アジア大陸部に顕著な、水田漁業と呼べるものがある。
そこへ魚が集まってきて産卵するので、再び水が引く頃大量に稚魚がふ化する。 それを大量に網ですくい獲るのだ。
それでは、これらの稚魚を日本のちりめん山槻のように加工して食べるかというと、どうもそうではないようだ(私が調べたかぎり、東南アジアに日本のちりめんじゃこにあたるものはなかったが、もしご存知の方がいらっしゃればご教示願います) 。 東南アジアでは、稚魚は小さくて料理しづらく市場価値が低いので、全部魚醤に加工してしまうということだ。
ちりめんじゃこは、日本では種類も産地も豊富で、ちょっとした高級品なのに。 よくよく考えてみると、日本のように、細かい稚魚をわざわざ塩茄での後、天日に干す、という手間のかかる作業のほうがかえって不可解に思えてくる。
日本では、東南アジアのように稚魚をペースト状に加工することなく、あえて一匹一匹の姿を残す。 そこには、何かこだわりがあるように思えてならない。

日本では「小さきもの」が尊ばれると同時に、魚の「尾頭付き」が縁起を担ぐもの、めでたきものとして重要な意味をもつからではないだろうか。 小さくてかわいい尾頭付きであるちりめんじゃこは、日本人の感覚にぴったりはまるものだったのではないか。
ちりめんじゃこはどうやら日本特有の食品らしい。 日本人に身近な縮緬雑魚とは、いう意味をもつのだろうか。
少し大風呂敷を広げてみよう。 日本人は「まく」行為が好きである。
わが家では朝、仏壇・神棚の水やお茶を玄関先に撒くのが習慣である。 庭に水を撒くのもそうだが、単にホコリを押さえるとか草花に水を供給するという意味合いだけではなく、浄めるという意味が込められているように思う。
お相撲さんは試合前に塩を撒くが、これもこれから臨む一番に向けて土俵を清める意味がある。 節分には豆をまき、正月には餅をまく。
このように「まく」ことに執着する儀式の数々を見ていると、畑に種、回に籾を「蒔く」行為が重なって見えてくる。 農耕をして生きてきた日本人にとって、「まく」という行為は特別な意味をもった行為だ。
蒔くことは自分達や家族の身体を養うこと、次世代の命を生み出すことにつながる重要な行為である。 今回のテーマである「ふりかけ」は、「まく」という行為につながる「まぶすふりかける」という行為がそのまま商品名になっている。
イワシの幼魚を干したごまめの別名を「田作り」という。 イワシ類が田の肥料に使われていたことに由来する。

ごまめを肥料にすると四万俵も五万俵も米がとれたので「五万米」もある。 当時の人々は「小さくても尾頭付きでございます」と神さまにごまめをお供えしたという。
想像してみていただきたい。 豊作を祈願しながら、田んぼに高らかにごまめをまく姿を。
ご飯の上にたっぷりと縮緬雑魚をまぶす姿と重なる。 私にはご飯にちりめんじゃこをまぶす姿が、田にごまめをまく豊穣祈願の儀式と重なって見える。
つまり、ご飯に山海の幸からなるふりかけやちりめんじゃこをふりかけることは山海の幸に育まれた日本の人々の豊穣への祈りを象徴するともいえる非常におめでたい行為なのである!今度ちりめんじゃこをご飯にかける時、ぜひ日本人の心の原風景である豊作の田を、思い浮かべてみていただきたいのである。 そもそも「海苔」とは何者か。
黒くて、香りがよくて、おおよそ海草であろうことは何となく察しがつく。 食卓の一品としては常連の海苔だが、実はその正体はあまり知られていない。
海苔ワールカードへの探求はここから始まる。 海苔は、まさに「海」の「苔」である。
「水中に生息する苔状、または葉状で花の咲かない藻類の総称のこと」(広辞苑) とあり、やはり海草である。 「海」という文字を含むが、湖などに生息する淡水産もある。
海水と淡水が交じり塩分濃度が薄くなる川の河口付近でとれるものが極上といわれる。 驚くべきことに、日本近海だけでも約三0種もの海苔が生息しているといわれる。
海苔なんて全部同じだと思ったら、大変無礼なのだ。 中でも「アサクサノリ」が全国的に有名だ。

もちろん、この「アサクサ」とは東京の浅草の地名に由来しているが、浅草でとれる海苔というわけではない。 では、魅惑の海苔一OO%国産可能な注目素材なぜ「アサクサ」なのか。
海苔は江戸時代に入り、養殖技術が発達し、量産がはじまった。 その結果、全国に広がった。
最初に大規模な養殖をはじめたのが東京湾。 東京湾はまたたく聞に海苔の産地となり、その際に商取引が盛んに行われたのが浅草だったというわけ。
現在では、日本の海苔普及に大きな功績を残した「浅草海苔」は「アサクサノリ」となり、一般的な海苔の種類の一名称、つまりブランカードとなって残っているのである。 海苔と日本人の歴史は、縄文時代からはじまる。
太古の貝塚の発見から、祖先はアサリやハマグリといった貝類を食していた。 よって、貝類と共生する特性をもった海苔もともに食べられていたと推察されている。
江戸時代まで海苔は貴重であった。 大和朝廷時代の海苔は今でいう税金である貢納品として定められていたと『出雲国風土記』『延喜式』などには記されているし、平安時代には、主に貴族のごちそうとして珍重されていた。
本草系の書物に登場する海苔は高栄養価のためか薬用として扱われていたし、『尺素往来」には、高級菓子とされていたとある。 現在、二月八日は海苔の日とされているが、海苔を貢献品に定めた「大宝律令」の施行の日に由来しているのだ。

いずれにしても、海苔は庶民の食べ物ではなかった高貴な時代があり、現在のように一般家庭に大概あるようなご飯の付属品的な食べものとなるまでには遥かなる歴史があるのだ。 海苔が庶民の食べものになったきっかけは、江戸時代。
徳川家康のおかげともいわれる。 魚が好きだった家康のために、料理長は生貰を江戸前の海に準備しておいた。
そこに自然発生的に海苔が増殖した。 それを食べた家康が珍味な海苔のとりことなり、年貢として大量の海苔を献上するように命じたのだ。
そのため、江戸に近い現東京湾で大規模な養殖がはじまり、全国に伝播し、庶民にも海苔が手に入るようになったといわれている。 江戸中期に入ると、海苔巻き屋台が町に出回り、庶民のファーストフーカード的感覚で食されるようになった。
もともと、寿司のはじまりも、海苔巻きだという。 高級イメージのある江戸前寿司も庶民の小腹みたしのおやつだったのだ。
品物おいしい妻同ができるまで海苔はどうやって育ち、板状になり、私たちの食卓へやってくるのだろうか。 そこで、まずは日本一生産地、枚数にして一五億枚を誇り、約一五OO人もの海苔生産者がいるという兵庫県・明石漁港を訪ねた。
そこで、兵庫のり研究所なるものを発見。 早速、所長の上田隆敏さんにおいしい海苔のできるまでを教えてもらうことにした。
さらには、小さい頃から新鮮な海苔を食べて育ち、海苔好きが高じて、松谷海苔(株) に入社した海苔歴一五年の宗和卓さんに、海苔が食卓に届くまでの流通の仕組みを教えてもらうことができた。

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